
教員 ✕ 研究#08
ファッション、芸術、工芸、建築、サブカルチャーを越境し、ファッションの創造を探る
井伊 あかり Akari Ii 新しいファッションが生まれる背景には、時代や社会の必然がある。
Q. 井伊先生はクリエイター志望の学生が学ぶ服装学部ファッションクリエイション学科で指導なさっています。先生が専門とする表象文化論の視点から、学生たちに何を学んでほしいとお考えですか。
A. 身の回りにあるどんなものでも「デザインされている」ということに気づいてほしくて、学生たちには「デザインの仕事で認められたいなら、過去にデザインが生まれた背景を知ることがとても重要」と伝えています。デザインには生まれた背景が必ずあります。ファッション史に登場するのは、過去に社会で認められたデザイナーたちですし、歴史を紐解いていくとファッションはその時代と呼応していることがわかります。有名デザイナーがどの時代に、どの場所でどのような活動をしたかを探ると、成功した理由が見えてくるものです。彼らを知ることが、未来に活動する学生たちの参考になるでしょう。そこで得た気づきを自分自身に当てはめてみればいいと思います。
Q. クリエイター志望の学生であっても、好きなことや得意なことを見つけるのは簡単なことではないと思います。どのような思考から発見できるのでしょうか。
A. 現代の日本でデザイナーになりたいなら、「誰のための服をつくりたいのか」を考えてみる。自分と同じ世界観を共有する人のためなのか、誰でも着やすく買いやすい服を目指しているのか。好きなことがわからなくても、逆に苦手なことに気づけば、好きなものが絞られていくこともあります。いずれにせよ世の中を広く見ることですね。今という時代と同時に、歴史にも目を向けてください。
ジャンルを限定せず幅広く社会を見ることもとても大切です。毎日、スマートフォンでAIが勝手に選んだお薦めばかり見ていたら、狭い範囲でしか物事を捉えられなくなってしまうでしょう。インターネットは何でも情報が手に入るようだけど、実は見ているものは世界の一部でしかないことを理解してもらえると嬉しいです。
Q. 講義を通じて学生に伝えている「デザインのヒント」はありますか。
A. 「デザインとは、いまある課題を解決するもの」とよく話します。“課題”とは様々なことを意味しています。社会問題かもしれませんし、スマートフォンに縛られている自分の心かもしれません。「これが正解ですよ」と誰かに言われたことに疑問を感じたとき、それこそが自身にとって解決すべき大切な課題だ、ということもあるでしょう。
もうひとつ講義でよく言及することは、コム デ ギャルソンの川久保玲さんの言葉です。「いつもゼロからものをつくる。もっときれいなものはたくさんあるから」というもの。美に定義はなく、既存の美しさを自身の基準にする必要はありません。ファッションとは自由に発想していいものだから。そこを、学生たちに気づいてほしいですね。たくさんの美しいものに触れて、心地よさやかっこよさを自分なりに編集し、「自分はこれで行く」ということが発見できたら、新しいデザインの価値が見えてくるかもしれません。
Q. ファッションの見聞を広げるには、どうするのが近道だと思いますか。
A. BUNKAの図書館に行きましょう(笑)!ここにあるリソースを最大限に活用すべきです。ファッション分野を中心にこれほど素晴らしい資料が揃っている学校はほかにありませんから。
ファッション研究のきっかけは偉大なファッションデザイナーの作品を目にしたことから。
Q. 井伊先生のファッション研究のルーツはフランスのデザイナー、マドレーヌ・ヴィオネ(1876-1975)ですが、第二次世界大戦以前のデザイナーで、名を知らない人も多いかと思います。ヴィオネの功績を簡単にご説明いただけますか。
A. ヴィオネはクリスチャン・ディオール、クリストバル・バレンシアガ、三宅一生、山本耀司など錚々たるデザイナーが「凄い!」と絶賛している人物で、生きた時代もデザインの方向性も異なるデザイナーたちを魅了する才能の持ち主です。1910年代からパリ・オートクチュール(高級注文服)で活躍したヴィオネは、当時の女性の身体からコルセットを外し、身体そのものを礼賛しました。女性が社会進出してきた時代で、それまでの「動かない(静的な)オブジェのような美しさ」から「動く身体の美しさ」に価値観が変わっていきました。
ヴィオネは、それまでの固いカプセル(コルセットやクリノリンで形づくられた)のような服とは異なる、身体を包み込むような服をつくりました。「服は身体に従う自由なものである」と考え、「ファッションの中心に女性の身体を置く」と宣言したほどです。それまでは “服の形” が先にあり、そこに身体を入れ込む(合わせる)という考え方が一般的でした。
Q. 大きく動いた時代の声に耳を傾けつつ、現代まで続く近代的な女性服へと移行させたのがヴィオネだったのですね。彼女のデザイン手法には、どのような特徴があったのでしょうか。
A. ヴィオネの代表的なデザイン手法が「バイアスカット」。布を斜めに裁断してドレープや落ち感を強調したドレスです。彼女の探究心は、バイアスカットのためにこれまでより広い幅の生地を織ることができる機械まで開発したほど。「身体に継ぎ目がないのに服に継ぎ目があるのは美しくない」という考えから、一枚の布でドレスに仕立てられるパターンを生み出しました。この「一枚の布」の考え方は、後世の三宅一生のファッションデザインの考え方とも共通するものです。

Q. ヴィオネが活躍した時代に、女性たちの生活スタイルにはどのような変化があったのでしょうか。
A. ひとつには、ボディカルチャーやエクササイズの考え方が一気に広まっていったこと。女性が社会に出ると、自分の姿が人目に触れる機会が増えていきました。そのため多くの人に見られることをより強く意識するようになったのです。第一次世界大戦後、社会の変化と異文化の流入から芸術運動としてもダンスブームが起きます。そして、女性の自立と活動性の高まりによりお洒落の価値観が変わっていき、身体で勝負する時代がはじまりました。ヴィオネはその新しい身体を称えるための美しい衣服をつくろうとしたんですね。
ただしヴィオネの細い服は、着られる人が限られた服でした。私がイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館でヴィオネのドレスを見たとき、「これは選ばれし女神のためのドレスだ」と感じました。あまりにも美しいドレスでしたが、身体のラインを際立たせるようなその服を着られる人は、ごくわずかだったでしょう。
第二次世界大戦中は、シャネルをはじめとする大半のオートクチュールメゾンが店を閉め、戦後に復活させましたが、ヴィオネはそのまま店を畳みました。プレタポルテ(既成服)の量産服に流れてきた新しい時代に即した作風ではなかったからです。彼女はコレクションを美術館に寄贈し、自身は教育者に転身しました。ファッションが「ファッション」でしかなかった時代に、アートやカルチャーへと高めようとした先駆者でもありました。
ファッションのあらゆるジャンルに目を向けて文化的背景を分析する。
Q. ヴィオネの研究からキャリアをスタートされた先生ですが、そもそもどういうきっかけでファッションが研究対象となったのですか。
A. 大学時代、師事した表象文化論の小林康夫教授の招きで、三宅一生さんが東京大学内でミニショーと講演を行ったことがありました。それは着る人によって形が変化する、身体との関わりが大きな服で、「ファッションを身体論でも考えることができるんだ」と衝撃を受けたことを覚えています。そこでイッセイミヤケについて調べたところ、三宅さんがヴィオネから影響を受けていることを知りました。当時はファッションがようやく学術対象になりつつあった頃です。ファッションをもっと多面的に捉えてみたい、ヴィオネならファッションも学術的な研究対象になる、と大学院では超域文化科学を専攻し、パリ第一大学(現 パンテオン・ソルボンヌ大学)にも留学しました。
ヴィオネは、パターンなどの制作分野では既に先行研究がされていました。私が知りたいことは「なぜこの時代にこの服が生まれたのか」というその背景です。ヴィオネがこのファッションを生み出した時代には第一次世界大戦後の社会変革や女性の活躍、前衛芸術運動などがありました。その一つひとつに繋がりを見つけて「ヴィオネがファッションを通して映し出した本質を探る」のが、私の目的でした。
一見すると無関係に思える対象を点として、それらが結びついたときに研究者としての快感があります。それこそが表象文化論で、私がもっとも興味を抱くものです。
Q. 表象文化論のような学術的なファッション研究から、裏原宿のような90〜00年代の東京ストリートカルチャーまで興味対象を広げられたのはなぜですか。
A. 大学院生だった頃(2000年前後)、マルタン・マルジェラのようなアントワープのデザイナー※ が大好きで『流行通信』『ハイファッション』『スタジオボイス』などの雑誌を読み漁っていました。ファッションに社会を動かす大きな力があり、世の中の様々な出来事と結びついていることを実感できた時代です。
留学当時、パリのモードシーンでは、東京のストリートファッションがクールだと評価が高まっていました。そんな時、カルティエ現代美術財団でアーティストの村上隆さんの展覧会が開催され、関連イベントにア ベイシング エイプのNIGO®さんが招かれました。あるフランスの媒体がNIGO®さんにインタビューするという企画があり、通訳させていただくことになりました。NIGO®さんは既に東京のストリートカルチャー界隈ではカリスマ的存在でしたが、当時の日本のハイファッション界ではあまり評価されていませんでした。そんななか、海外の先端アート施設がNIGO®さんや彼に象徴される東京のカルチャーに魅力を感じていることに強い興味をもったのです。これがきっかけとなって、しだいに現在進行形のファッションにまで研究対象を広げていきました。日本ではストリートファッションの人気が落ち着いた頃、逆にパリで盛り上がっていった現象は、都市論としても興味深いものでした。
Q. Y2Kといった「復刻」ブームが近年の若者トレンドになっています。井伊先生の研究対象に関することや、リアルタイムで体感されたことを、学生にどのような視点で伝えていますか。
A. なるべく身近に感じられるように話すことを心がけています。例えば、大人の男性の多くが着ている現在のアメカジは「裏原宿の人たちが再構築したスタイルなんだよ。スニーカーが日本で大流行したのも裏原宿の影響でね」とか、Tシャツとジーンズは「50年代の映画俳優のジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドから広まったもの。それまでは下着と労働着だったんだから。若者の反抗のムーブメントがTシャツ+ジーンズをお洒落な服装にした歴史があるんだよ」など。ファッションが生まれた背景を感じてもらいたいですね。
表象文化論の考え方で、学生たちが様々なことを自分事として考えられるフックや視点を設けてあげたいです。皆が考えていないことを結び付けたり、全然違う価値観を伝えたり。一人ひとりの中で何かが繋がってくれたら嬉しいです。その人に新しいものの見方が生まれたなら、授業をして本当によかったと思えます。

ファッションが研究対象として認知されてきた90~00年代に、この道に飛び込んだ井伊先生。服に限らず幅広い目線で社会とカルチャーを追い続けている。古きを尋ねて新しきことを知る “温故知新”の考え方を実践している、知識と経験の宝庫の研究者だ。
記事制作・撮影
一史 (編集ライター/フォトグラファー)
COLUMN
les Maisons du 19M Lesage
オートクチュールのメティエダールに触れる本
2025年秋、シャネルによるエキシビション「la Galerie du 19M Tokyo」(東京シティビュー&森アーツセンターギャラリー)が開催。「Lesage 刺繍とテキスタイル、100年の物語」と題した展示にあわせ、2024年に創立100周年を迎えた、刺繍とツイードの専門アトリエであるルサージュの歴史と仕事を紹介する書籍『les Maisons du 19M Lesage』の日本語版が刊行され、井伊先生が、その日本語監修を担当した。
「ルサージュは、私の研究テーマでもあるマドレーヌ・ヴィオネと所縁の深いアトリエであり、その関係から、日本語監修を担当させていただきました。実際にこの本では、ヴィオネの作品も紹介されています。‘メティエダール’とはフランス語で‘芸術的な手仕事’を指し、フランスの服飾文化を支える重要な遺産として保護されています。機械化・デジタル化が加速する時代だからこそ、より一層その価値が高まっていると言えます。日本もフランスに劣らぬクラフト大国であり、学生の皆さんにもぜひ関心を持ってもらえると嬉しいですね」(井伊)