教員 ✕ 研究#02
「無」から「白」へ。ファッションデザインにおける新たな創造の可能性を追究
ファッションデザイナーのなかには、着る人のボディと、服との間にできる「空間」に着目する人がいる。鎌倉先生も学生時代からずっとその空間について考え続けてきた。しだいに空間の「無」の領域にまで考えが及び、行き着いたのが「白」の世界だった。
Q. ファッションビジネス学会で発表した学術論文『白による創造性の再解釈ー20世紀以降の建築、芸術、ファッションの事例を中心にー』をテーマにしたのはどのような経緯からですか。
A. ファッションデザインは空間表現と深く結びつくジャンルです。例えば三宅一生による「一枚の布」は、自由に弾むスペースを生み出しました。コム デ ギャルソンの「こぶドレス」は、異形の形という空間。わたしはその空間について考えていくうちに、「空白」「無(Nothingness)」に興味を持つようになりました。グラフィックデザイナーである原研哉さんの書籍『白』(中央公論社)などを参考にしつつ、「無の定義は白である」と仮定する研究テーマに挑んだのです。2018年には、学術論文『日本の美意識における無の追究ーファッションデザインへの展開ー』を発表し、自分のなかで「無」は重要なテーマとなりました。一方で「白」も、調べるほどに無と同じくらい深い存在であることに気づきました。今回の論文では書ききれなかったこともたくさんあります。とても難しいテーマですが、挑戦してよかったと考えています。
Q. 自身の研究を、どのように教育に還元したいと思いますか。
A. 学生たちのクリエイションのひらめきになれたらと望んでいます。わたしはファッションデザイン研究であまり注目されてこなかったテーマに焦点を当てて取り上げてきました。その結果を学生自身が組み合わせて、新しいアイデアを生み出してくれたらと思っています。
鎌倉先生が受け持つ服装学部ファッションクリエイション学科の授業は、講義・演習・実習の3本柱からなる。ファッション全般の知識の修得だけでなく、それぞれが思い描くデザイン企画の立案なども含む実践的なカリキュラムだ。先生は、学生たちのクリエイションのひらめきの一助になればと、豊かな経験を活かしつつ「教科書にないものづくり」をサポートする。
Q. 日々どのような授業を行っていますか。
A. 主には、講義とデザイン発想の2軸です。講義の内容は「ファッションデザインとは」「服の役割とは」など。デザイン発想は、演習・実習のときに教える基本的な考え方です。わたし自身は昔から順を追って考えていくそのプロセスが好きだったので、学生たちにデザイン発想を教えるのが楽しいです。イギリスの留学時代も含めさまざまな先生方から、「自分の感性を壊して成長していきなさい」と指導されてきました。そうして得たことを教員になったいま学生たちに伝えています。デザインや服づくりに悩んでいる学生がいたら「こんなやり方もあるんじゃない?」とアドバイス。でも自分の色に学生を染めることはしたくないんです。思想を植え付けずに、彼らがやりたいことを実現させる手助けをしたいと思っています。
Q. 服のパターンも教えることがありますか。
A. パターンを専門的に教える授業は受け持っていません。凝ったシェイプの服づくりを学生から相談されたときに、「この教科書とこの教科書の、こことここを混ぜて考えたら?」といった提案をすることはあります。パターンの話は、自由な発想での服づくりのヒントを与えるためのものです。
クリエイティブなセンスを保ち続けるには日々の自分磨きを欠かせない。自身をアップデートさせるには人それぞれのやり方があるが、モードデザインの研究者である鎌倉先生の場合は、世界各国の美術館に足を運ぶのが最適解のようだ。
Q. センスを保ちつつ、さらに発展させるヒントを教えてください。
A. 前提として、いま現在世の中にあるものを知ろうとする努力が大切だと思います。知らないと、ほかと違うアイデアを思いつきにくいですから。さらにわたしが心がけているのは、いろいろな場所で様々な経験をすること。美術館、映画、旅行に行ったりなど。とくに美術館はひらめきを与えてくれる役立つ場所です。
Q. 最近刺激を受けた展覧会はありましたか。
A. 今年、夏休み期間に訪れたフランス・パリの装飾芸術美術館で観た「Des cheveux et des poils(毛髪と体毛)」の展示が面白かったです。昨年、学生がファッションショーのアイデアとして「体毛ウエディング」という企画を立てました。女性が体毛を剃り、除毛しないといけない社会に対して異を唱えるファッションです。ウエディングのときに剃る人が多いことから、あえてその体毛をドレスのデザインポイントにしました。もちろんこのドレスは毛むくじゃらでも、不快でもない新たな美の創造です。この学生との経験があったからこそ、なおさらフランスの展覧会が魅力的に思えたのでしょう。
鎌倉先生が学んだ学校は、文化学園大学(文化女子大学(当時):以下、文化)、イギリスのセントラル・セント・マーチンズ(以下、セントマーチンズ)とロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)。厳しくもクリエイティブなモードの殿堂で得た経験と気づきが、先生の将来を決めた。
Q. 子供の頃からファッションが好きでしたか。
A. ファッション以前に、絵やモノをつくることが好きな子供だったと思います。ミシンを買ってもらったのが中学生のときで、服とは呼べない何かを徹夜でつくっていましたね(笑)。最初はソーイング本を見て、しだいに独自のつくりかたをするようになりました。文化への進学を決めたのは、ファッションを専門に学びながら教員免許も取得できるからです。ファッションデザイナーになる夢を抱きつつも、この頃から教員にも興味がありました。
Q. 文化時代はどのような学生でしたか。
A. 服づくりの基礎を徹底的に修得しようとしていました。その一方でヘンなこともしていましたよ(笑)。先生にデザインを見せて、「これは絶対につくれません」と怒られたこともありました。当時は「なんでできないんですか!」と反論しましたが、いま振り返るとやはり服にできない無理なデザインでした。正しかったんです、先生は(笑)。2年生になりファッションコンテストの装苑賞に応募したことも大きな経験です。教科書には載っていないはじめての本格的な服づくり。皆に助けてもらい形にできて、改めてモノづくりを楽しいと実感しました。3年生の後半には留学を考え始め、英語の勉強やアルバイトで貯金などいろいろな準備をしました。
Q. イギリスの学校で得たものとは。
A. 最初の留学先であるセントマーチンズでは留学生だけのコースに入学。中国、韓国、アメリカ、ロシアといったユーロ圏以外の人たちの集まりです。国際色豊かな校風で、日本人である自分がマイノリティであることを自覚するようになりました。幸いにも嫌な思いをしたことはありませんが、競争を勝ち抜く精神力が磨かれましたね。次に入学したRCAは1学年が12名だけの少数精鋭体制。皆ファミリーのような関係性でした。企業とのコラボ企画を行ったり、他学科の人たちとの交流も盛んでした。先生たちも厳しくも優しい人たちでしたね。
Q. 教員になった理由はなんでしょうか。
A. 留学中はデザイナー志望でしたから、卒業を迎えるにあたり何軒も世界的ハイブランドに応募書類を提出しました。結局厳しい結果でしたが(笑)。その同時期に、教育者への憧れと尊敬心も強くなっていったんです。文化の先生に限らず、ロンドンの先生たちも印象的でした。そしてRCAの先生から、「あなたは教育者に向いているかも」と言ってもらったこともありました。このような経験を経て、文化の教員に応募できる機会があり採用されて帰国しました。最初は助手の立場で、授業を直接持つようになったのは3年後くらいでしょうか。好きなジャンルであるデザイン発想を教えられる立場になれたことを幸運だと感じています。
日本とイギリスのファッションの有名校を渡り歩き、世界レベルのファッションデザイナーの教育を体感してきた鎌倉先生。自身がモノづくり側の人だからこそ、学生から飛び出すユニークな考えを楽しんでいる。先生の授業を受けることはすなわち、自由な創造の場に参加することなのだ。
記事制作・撮影
一史 (編集ライター/フォトグラファー)
COLUMN
2019年度梅春科目
「メンズファッション ~工場からの服づくり~」
文化学園大学では、2月から3月にかけての期間を「梅春学期」とし、1・2年生を対象に「梅春科目」を実施している。鎌倉先生が企画した「メンズファッション ~工場からの服づくり~」は、国内外のブランドからの信頼も厚い岩手県のメンズファッションを得意とする縫製工場で、生産工程や技術力、服づくりの背景を理解することを目的としたプログラムだ。2社の縫製工場を回り、1人ずつジャケット、パンツ、コートを縫製するという研修を行う。参加した学生は日本の工場が持つ縫製技術の高さを認識し、量産工場の製造ラインなどそれぞれの工場の特色を比較しながら学ぶ。
「このプログラムの教育効果は、やはり学校では学べなかったことが学べるということ。参加学生の研修日誌などを見ると、毎日とても多くの事を吸収していたと読み取れます。この経験を通じて、今後の大学での学びへの応用や卒業後のキャリアについて考えてほしいと願っています。」(鎌倉)